「秋山小出身、影山飛雄です。バレーは小2からです。よろしくお願いします」

 小柄な少年だった。これからの部活動に期待と希望いっぱいというのが瞳の輝きから眩しいほどに伝った。
 第一印象は、ずいぶん早くから始めたんだな、といった漠然としたものだった。
 一通りの新入部員の紹介が終わって、及川は監督に促され全員の前に立った。
「ようこそバレー部へ。俺は主将の及川徹。一緒にプレイ出来る期間は長くないけど、よろしく」
 ――こんな時すら、うまく笑えない。と及川はいっそ自分を呪った。笑みを作るなんて得意中の得意技だったというのに。一年生もあまりに無愛想な主将にびびっているかもしれない。が、そんな事を気遣う余裕さえなかった。
「では練習は通常通り。一年生は球拾い。後半は力を見るためにコートに立たせるから、気は抜くなよ!」
「はいっ!」
 監督の声に全員が返事して、いつもの部活の始まりだ。
 今日の入りはサーブ練習。それからポジション別の練習に入る。
 及川はいつものようにボールを手にしてエンドラインから少し距離を取った。
 小さく息を吐いてから、ふ、と前を見据える。ボールを投げ上げ、助走を付けて跳び上がっていつものように打った。
 が――、着地した瞬間、ゾクッ、と身体を悪寒のようなものが走った。
 驚いて目を凝らし周囲を見渡すと、さっきの、小柄な少年と目が合って、パッと逸らされてしまった。
 なんだ? と及川は眉を寄せたが、ジャンプサーブが珍しかったのかな、と気にも留めずにもう一本、さらに一本と打った。
 そうして一通りのメニューが終われば休憩が宣言され、監督が新入部員にコートへ入るよう指示を出した。
 及川はタオルで汗を拭きつつ何となくコートの外からその様子を見た。
 北山第一は強豪校だが、全ての選手が経験者なわけでも強いわけでもない。まして新入部員ともなるとつたないことが多く、去年の一年生達を思い出して微笑ましささえ感じた。
「次、影山入れ!」
「はいッ!」
 が――先ほどの少年がコートに入って微笑ましさなどは完全に一変した。
 彼は、今の自分ではあり得ないような嬉しくてたまらないといった眩しい表情でコートへ入った。あまりの眩しさににいっそこちらの目が潰れそうだ、と客観的に分析できたのはこの瞬間までだった。
「オーライ!」
 影山はセッターの位置に入った。そうして浮いたボールがセッターに返った瞬間、及川は影山の指先が光ったような錯覚を見た。
 そのまま影山の指先に吸い込まれるように落ちたボールは、目を奪われるほどのフォームで正確にスパイカーのいる位置へ弾き出された。
 一連の動きはまるでスローモーションのように及川の目に映り、及川が息を呑んだ瞬間――、振り返った影山と確かに目が合った。今度はそらされなかった。かち合った視線が、まるで世界に2人しかいないと思わせるほどに正確に互いを見据えていた。落雷に打たれたかのように微動だにできない。及川には影山と見つめ合った瞬間が、まるで永遠だったような気さえした。
「次――ッ!」
「――はい!」
 監督の声に影山が答え、ハッと及川は意識を戻す。
 身体の芯から震えるような感覚が伝った。たった1プレイだというのに。――ああ、あれが「神に愛された手」を持つ人間なのか。と恐ろしいほどに感じ取ってしまった。
 いや、けれども。やはりただの錯覚なのでは――と期待して及川は再びコートに目をやり、影山を見た。まるでコートに立っているのが嬉しくて仕方ないと叫びたいような表情だ。
 遠目に監督が驚いたような表情を浮かべつつ、そして次第に感心したような笑みに変わっていくのが見えた。おそらく彼もまた、影山の才能を感じ取ったのだろう。
 及川はただグッとタオルを握りしめた。

 ――神に愛された才能。なんて自分でも随分とばかげている。

 そんなこと、あるわけないのに。
 と、信じたい心とは裏腹に、影山の能力は群を抜いていた。日を追うごとにそれは確信に変わった。むろん、バレーを早期に始めたせいもあるのだろう。が、それだけではない。バレーを愛する純粋さと、ボールに触れているだけで幸福だと全身で訴える表情と、そして、ボールの扱いへの慣れ方が他者とは違っていた。
 何より、トスを上げる精度が普通の人間のそれとは桁違いだった。――あんな精巧なトスをあげる人間を、及川は生まれて初めて目にした。
 いっそ、部活に行くのさえ憂鬱だ。と朝から晴れない気持ちのまま朝練に出向く。自分はたいてい一番乗りか、それでなくとも早く着く方だが、この時期の一年生は主将より遅く来るとペナルティがあるとでも思っているのか異様に早い。体育館に入る前から、やはり先着がいるらしいと及川は気の滅入る思いがした。
「キャプテン! おはようございます!!」
 コートに入るなり、いっそ「いなければいいのに」とすら思っていた相手が大声で挨拶をしてきて及川は目を合わすことすら叶わない。
「……。おはよ」
 おまけに。その相手――影山はストレッチの間ですらこちらに視線を投げてくるのだ。なに見てんだよ、と怒鳴れたらどれほど楽だろう。と苛つきつつ何とか我慢する。
 こんな後輩になど気を取られている場合ではないというのに。もうすぐ最後の中総体が始まるのだ。今度こそ白鳥沢に勝って全国へ行くんだ――と自身をどうにか叱咤する。
 自分はキャプテンで、チームの司令塔。自分がやらなくては――と気を張り続けて4月の下旬。新入生が入ってきてから二週間近くが経っていた。
「影山の事ですが……」
 零れたボールを追っていると、ふとコーチのそんな声が聞こえ、及川は無意識に耳を澄ませていた。
「ああ、基本色々なポジションはやらせるが……ゆくゆくはセッターだな」
 すれば、監督のそんな声が届いて、ひゅ、と及川は自身の肺に冷気が流れ込んでくるような感覚に陥った。
 ――影山がセッターとして入ってくる。それは当然だろう。彼は一番セッターとしての才能を見せているのだから。
 けれども、なぜ? 北川第一の正セッターは自分だ。トスの精度で勝てなくても、他はまだまだ自分の方が上だという自負はある。
 監督達はなんの話をしているのだろうか? 自分が引退したあとの、自分の後釜としてのセッター?
 それとも――、と考えたくもない考えが過ぎって及川は強くかぶりをふった。
 冗談じゃない。夏の中総体は最後のチャンスなのだ。白鳥沢に勝って全国へ行く、最後のチャンスだ。急に現れた「天才」一年に自分のポジションを奪われてなどなるものか。
 なぜ、いつも「彼ら」は自分の邪魔ばかりするのだろう? なぜ、牛島も、影山も、いつも「天才」とやらは自分の前に立ち塞がるのだ?
 ぜったいに負けるわけにはいかない。――と及川はその日以降、自身に課していた練習量をさらに増やした。

 一方、はバレー部の諸事情など知るよしもなく、ようやく暖かくなってきた春の気候を嬉しく思っていた。
 校庭の桜はもう散ってしまったが、新緑がまばゆく、これはこれで瑞々しいものだ。
 昼休みに美術室に向かう道すがら、うっかりと渡り廊下でその緑に目を捕らわれてスケッチブックを広げていると、ふと校庭の隅の方で一人でボール遊びらしきことをしている少年が目に入り「あれ?」とは首を捻った。
 ぽんぽんと、規則的に上空へ投げ上げられているカラフルなボールは、バレーのそれだ。バレー部の新入部員だろうか? と、どこか「着られている」感じの学ラン姿と小柄な背格好からはそう感じた。
 昼休みも練習とは随分と熱心な部員だ。が、体育館を使えばいいのに。と思った先では少々肩を竦めた。
 及川は相変わらずの様子であるし、昼休みの今でさえ体育館に籠もっている可能性も高い。あれでも彼は3年、それも主将。おまけに笑みも見せない及川のいる体育館に新入部員が入っていくのはさすがに難しいのかもしれない。と、察しつつも、新入部員が入って空気も変われば、及川も良い方向に刺激を受けているかもしれないと思いつつは自身のスケッチ作業に意識を戻した。
 季候がいい、というのは純粋に嬉しいものである。冬の寒さが特別に嫌いということはなかったが、それでも春は外でのスケッチがはかどる。
 花が咲き乱れ緑も青々とした季節は、やはり絵になるものだ。
 四月の最後の日曜、は川沿いの土手でスケッチブックを広げていた。シロツメクサやタンポポが無数に絨毯のように広がっている。花冠を無数に作れそうだ。
 今日は久しぶりにあまり好んでは使わない水彩色鉛筆も持ってきたし、日暮れまでは粘って描こう、と張り切って作業に入ってしまえば時間の感覚というのはすぐに失われてしまう。
 日が傾き、目の前が茜色になってからはようやくハッとして顔を上げた。見上げた空は、端の方が既に紺色に変化している。
 さすがに帰ろうかな、と立ち上がって道の方を振り返っては、あ、と目を見開いた。
「お、――」
 前方に見慣れた青のジャージが目に映ったのだ。男子バレー部のジャージだ。
「及川くん……?」
 それが及川であると気づいた時には、彼はこちらには気づかず道をそのまま走り去って行っては絶句した。
 この土手は北川第一とは反対に位置している。ロードワークにしては随分と遠い場所のはずだ。その証拠に、自分は頻繁にここに来ているがロードワーク中の同級生とすれ違ったことは今まで一度もない。
 それに――。横切った時に見えた及川の横顔がなぜだか泣き出しそうな様子だったのは気のせいだろうか?
 どこまで行くつもりなのだろう。と、小さくなってしまった背を追ってはギュッとスケッチブックを抱きしめた。
 去年の新人戦以降ずっとああなのだ。先月も白鳥沢に負けてしまったらしいが、さすがにもう立ち直ってもいいのでは――との思いからは週明けの月曜に廊下で岩泉を目にして歩み寄ってみた。
「岩泉くん」
 去年は同じクラスだった岩泉だが、今年度は違う。話をするのは久々でもある。
 おう、と応じた彼には単刀直入に切り出した。
「及川くん……大丈夫?」
「は……?」
「昨日、川の方の道で見かけたの。たぶんロードワーク中だったと思うんだけど……。なんか、すごくせっぱ詰まってるように見えたから。その、去年の暮れからずっと、だし」
 すると、岩泉は少し目線をそらして唇を噛むような仕草を見せた。そして数秒、考え込んでいるのか黙り込んだ岩泉を見てはハッとする。
「あ、ごめんなさい。私、関係ないのに……」
「いや、いい。ったくあのボゲ、身体壊したら元も子もねえってのに」
「岩泉くん……」
「ああ、スマン。週末、練習試合があんだ。それで根詰めちまってんだろ。俺も気ぃつけて見張っとくわ」
 ――これは、あの雪の日と同じようにはぐらかされたかな。とは感じた。
 岩泉なりに自分と及川の相性の悪さのようなものを感じているのかもしれない。自分は及川を良く知らないが、なぜだか及川には好かれていないと感じるのだから。内々に及川自身が岩泉に自分を苦手だとでも告げているのかもしれない、とは肩を竦めつつ、そっか、と頷いて引き下がった。

 しかしながら、それが事実かはには確かめようもなく――、裏腹にバレー部内の緊張の糸は今にも切れそうな状態にあった。

 岩泉にも及川の焦りは手に取るように分かっていた。
 ただでさえ白鳥沢に6戦6敗。1セットすら取れない完敗続き。いよいよ最後の中総体が近づいてきたという状況で、追い打ちのように背後に迫った「天才」。
 影山飛雄は岩泉の目から見ても圧倒的にセンスに恵まれていた。いずれはどれほどの選手になるのか。スケールの大きな夢を見てしまうほどの可能性を秘めていた。
 及川も当然、影山の才能を感じ取っただろう。そして、影山の希望ポジションはセッター。監督もそのつもりらしいというのは岩泉も知っていた。
 白鳥沢に、牛島に勝てない焦りと、追われる焦り。目に見えて練習量を増やした及川を、オーバーワークだと怒鳴りつけたことも1度や2度の事ではない。
 あんなにヘラヘラした人間が、もう数ヶ月も笑みを見せていない。それどころか状態はますます酷くなっていっている。
 何をそんなに追い込んでいるのか? 及川は優秀な選手だ。優秀だからこそなのだろうか? だからあと一歩と届かない彼らの持つ才能に苦しみ、自身を悲観しているとでもいうのか。
 今の及川の目に映っているのは、牛島と影山の2人のみなのか。
 そう思うと酷く歯がゆい気がした。自分たちの付き合いはもう10年近くになるというのに。
 最初にバレーを始めたのは及川だった。なんだそんなボール遊びなんて、と最初は相手にしなかったのにいつの間にかつられるように自分もバレーボールを手に取った。そして同じクラブチームに入って、今までずっと一緒にバレーを続けてきたのだ。
 なのに、及川の目には牛島と影山しか、「天才」の姿しか映っていない。自分はおろか、北川第一の仲間さえも。――と感じる岩泉の脳裏には、影山も「北川第一のチームメンバー」という考えは完全に欠落していた。
 これが、後々の人生に悔恨を残すことになったかどうかは今はまだ分からない。
 ただ、主将である及川があの状態でチームがまとまっていない事に焦燥を覚えていた。
 そうして、岩泉の抱えていた懸念は最悪の現実となって目の前に現れた。
 週末に予定されていた、近隣中学を北川第一に招いての練習試合での事だ。
 メンバーはいつも通り。岩泉もいつも通り、レフトに入った。その日の試合前のミーティングでも特にいつもと変わったところはなかった。
 が、最初に違和感を覚えたのは及川がサーブミスをした事だ。
 及川のジャンプサーブは決まれば強力な武器であるが、コントロールは完全とは言えないゆえにミスも多い。だが、その日のミスは岩泉に漠然とした違和感を抱かせた。
「おい、トス低い」
「あ、……ごめん」
 試合中に声をかけてみるも、反応も特におかしな様子は見せなかった。が。次に全くタイミング外れのトスがあがって、さすがに岩泉は瞠目した。
 及川らしくないミスに、ベンチからもどよめきの声があがった。なにより、及川自身が一番自分のミスに驚いているといったような愕然とした表情をしていた。
 及川自身、自身の感覚のズレに意識が追いついていなかったのだろう。その日のミスは1度や2度に留まらず、過去最高数のコンビミスとなって現れ、ついには体育館にけたたましいホイッスルの音が鳴り響いた。
「影山、入ってみろ。及川と交代だ」
「はいッ!」
 及川の背中が硬直したのがはっきりと岩泉の目に映った。それでも交代を告げられた彼は、手を掲げて自分の替わりに入ってくる影山の手にタッチした。
 そうしてコートに入ってくる影山の、緊張と昂揚が一体になったような初々しい笑みを視界に映しながら、岩泉の意識の中には初めての試合に臨む後輩を気遣う余裕などどこにもなかった。
「よろしくお願いします!」
 頭をさげる影山の声が耳に響いた。が、ベンチで俯く及川の姿が気にかかり、眉を寄せるも息を吐いて首を振るう。取りあえず、今は試合に集中するのが先決だ。
 影山は中学初試合とは思えないほどのセットアップを見せた。岩泉にとっても、おそらく他のメンバーにとっても慣れている及川の方がやりやすかったが、それでも寸分狂いなくあげられる正確なトスに、影山の才能を感じずにはいられなかった。
「よっしゃ、ナイスキー!」
「ナイスッ!」
 けれども。どうしても岩泉には影山を褒める言葉が出てこなかった。影山のトスでスパイクを決めてさえ、ハイタッチの一つもしてやれなかった。――それがのちの影山に影響を与えたかまでは岩泉には知るよしもない。嬉しそうに笑う後輩が、及川のいるべき場所にいるのがなぜだか無性にいたたまれなかった。
 結局、試合はセッター交代が功を奏したのか巻き返して北川第一の勝利で終わった。

「お疲れっしたー!」
「お疲れー!」

 夕方には解散となり、一同、今日も残るという及川を背に「またか」と半ば様式美のように「お先」と告げて帰っていった。
 岩泉もそのうちの一人であり、普段通り帰ろうといったんは帰路についた。今日の交代はおそらく堪えただろうし、少し一人にした方がいいかもしれないと感じたからだ。
 が、やはり気にかかってくるりと踵を返し、元来た道を足早に戻っていく。どう声をかけようか。幾通りもの台詞が頭を駆け抜けていった。どう言えばいまの及川の心に響くのだろう?
 開いたドアから体育館を覗けば、やはり及川は一人でいつものようにサーブの練習をしていた。さすがに声をかけづらく、しばしその様子を見守る。
 が――、ふと、思いもよらない影が現れて岩泉は瞠目した。
「及川さん!」
 影山だ。まだ残っていたのか――と過ぎらせたときには彼はボールを手に持ったままはにかんだような笑みを浮かべて及川のそばに歩み寄っていた。
「サーブ、教えてください!」
 さすがに岩泉はおののいた。いくら才能のある新入生といっても、新入りの一年生と主将の及川では当然のように距離がある。おそらく影山は、今日、及川と交代したことで初めて及川との距離が縮まったと感じたはずだ。そして居残り練習していた及川を見かけて思い切って声をかけてみた。とか、そんな心境なのだろう。
 が、影山の心情など思いやっている余裕は岩泉にはただの少したりともなかった。及川は影山の声が遅れて届いたように全身をしならせ、ゆっくりと顔をあげて影山の方を向いた。
 岩泉の位置からは及川がどんな表情をしているかは見えない。が、及川の肩が震え、左腕を振りかざしたあたりで「あ、ヤバイ」と本能的に悟った岩泉は体育館に駆け上がった。
 そうして影山を振り払おうとも殴ろうともしていた手首を掴んで押さえ、思い切りがなり付ける。
「落ち着けッ、このボゲッ!!」
 及川は自分がなにをしようとしたかさえ自覚できていない様子で、瞳孔を開いたまま愕然と腕をおろした。
「……ごめん……」
 細いその声を聞いて岩泉は手を放し、訳の分からない状態だろう影山の方を見やる。
「影山、悪いけど今日は終わりだ」
「あ……、はい」
 言えば、影山は及川の方を気にしながらも素直に体育館を後にした。それを見届けて、岩泉はまだ呆然としている及川の方を見やる。
「今日の交代は、おめーの頭を冷やすためだろうがよ。ちょっとは余裕持て!」
 それは岩泉がずっと指摘したかった一言であり、及川にとっては言われたくない一言だったのだろう。ハッとしたように彼は瞳を釣り上げる。
「今の俺じゃ白鳥沢に勝てないのに、余裕なんてあるわけない! 俺は勝って全国に行きたいんだ! 勝つために俺はもっと――ッ」
 強くなりたい、とでも続けたかったのだろうか? その言い分にいい加減怒りのゲージが振り切れた岩泉は皆まで言わせず憤りのままに及川の顔面に頭突きを入れた。
「俺が俺がってうるっせええ!!!」
 勢いのままに吹っ飛ばされて鼻血を吹き出した及川を見下ろしながら岩泉はなお続けた。
「てめーひとりで戦ってるつもりか!? 冗談じゃねえぞボゲッ! てめーの出来がイコールチームの出来だなんて思い上がってるならぶん殴るぞ!」
 及川のTシャツの襟元を掴み上げて訴えれば、「もう殴ってるよ……」と小さく突っ込みが入ったが、岩泉は構わず及川を見据えた。
「一対一でウシワカに勝てるヤツなんかうちにはいねえよ! けど、バレーはコートに6人だべや!? 相手がウシワカだろうが天才一年だろうが、6人で強い方が強いんだろうが、このボゲが!!」
 岩泉は思ったままを吐き出した。紛れもない岩泉の本心であり、きっと及川にとって救いになる言葉だろうと分かっていた。それ以上の影響はこの時は全く頭になかった。無意識のうちに後輩であり、今日はプレイさえ共にした影山を「倒すべき相手」と定めてしまったことさえ今の岩泉には無意識のことだった。
 及川はその言葉に、付き物の落ちたような顔をした。笑みさえ漏らした彼に、当の岩泉でさえ困惑したほどだ。
 けれども、久々に、本当に久々に笑う及川を見て心底ホッとしたのも事実だ。これでもう大丈夫だろう。この時は、本心からそう思った。



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