始まりの色






生まれてこの方、22年。
初めて本国以外で一人ぼっちの誕生日を迎えることになる――、とクロヴィスはエリア11総督府の庭園から秋晴れの空を見上げつつ、ぼんやりと流れる時間に身を委ねていた。
もっとも、正確にはここエリア11で誕生日を迎えるのは二度目のことだったが、去年は着任したばかりで誕生日を祝うどころの話ではなく目まぐるしい忙しさでいっぱいいっぱい。あれから一年経って、ようやく誕生日を自覚できるほどには余裕もでてきた。
三日前に14歳となった二番目の妹であるユーフェミアの誕生祝いは本国では盛大に行われたという。祝いの通信を入れた際に「三日後には私がクロヴィス兄さまをお祝いしますね」とモニター先で可愛らしく笑っていたユーフェミアの姿を思い出してクロヴィスは、ふ、と笑みを漏らした。
せめて今日くらいはゆっくり過ごしてください、と気を利かせた部下たちの計らいで今日は休日となっているクロヴィスであったが、本国ブリタニアの時刻はまだ13日の夜だ。その所為かどうにも誕生日という気がしない。
いつもいつもこの日には母が山のようなプレゼントを持って祝ってくれ、皇宮では豪奢なダンスパーティが開かれて――、とクロヴィスは秋の空に煽られるように郷愁を胸に募らせた。
ここエリア11は本国と違い、四季折々の変化が明確にある土地だ。今の時期は色づいた紅葉がたいそう素晴らしいという話もきくが今だ目にしたこともなく――はぁ、とクロヴィスは大きなため息を吐いた。
お前には向いていないと散々言われた総督の仕事。事実、いまだこのエリア11の治安はブリタニアの植民地のなかでも最低の部類に属し、うまく統治できているとは言えない。毎日のように向き合っていたキャンバスにも別れを告げ、おおよその時間を政務につぎ込んではいるもののなかなか成果はあらわれない。
「私は兄上のようにはなれないということだろうか」
もう自分と同じ歳のころには既に宰相として国をまとめていたすぐ上の兄――シュナイゼルの姿を浮かべるといよいよ気が滅入ってきた。優秀すぎる兄と常に比べられ、かといって努力しようにも最初から差は歴然で。そしてまた兄がそのことに傲るような性格でもなく常に優しかったのがどこか気に入らなかった。もちろん敬愛する兄ではあるものの、それゆえに劣等感にもさいなまれて。長兄のオデュッセウスのように穏やかな気持ちでいられるほど、大人にもなれなかった。
そうしてやはり現実がこの状態だ。シュナイゼルだったらこのエリア11も瞬く間に平定してしまうのだろうと思うと、22歳にもなって胸に苦々しさが飛来してくるから更に嫌になってしまう。

「殿下、殿下ーー!」

ぼんやりと流れる雲を見つめていたクロヴィスは突如、今の感傷さえ吹き飛ばすような声に呼ばれてむっとしながら振り返った。
「なんだ、無粋な」
振り返らずとも呼んだ人物の正体は分かっている。自軍の将軍を務めているバトレーだ。相変わらずの禿げ上がった頭に憔悴の色を浮かべてオロオロしている。
「それが、イレヴンのテロリストどもが租界で人質を盾に立てこもるという事件が発生しまして」
「――なんだと!?」
ノスタルジーやセンチメンタルといった気分は一転。不穏な報告に眉を吊り上げたクロヴィスはバトレーを力一杯怒鳴りつけた。
「愚か者ッ! 今日はとくに警備を強めるよう言いつけたはずだ、私の誕生日なのだからな」
「ですから我々も気を引き締めていたのですが――」
「それでも事前に防ぐのがお前達の仕事であろう!? なんたる失態か! ええい、すぐにコンダクトフロアへ行く!」
何とか宥めようとしてくるバトレーを一蹴してクロヴィスは足早に公務に戻るべく庭園を後にした。
テロリストの動機というのは実に単純だ。今日は総督たる自身の誕生日、つまりエリア11自体が祝賀ムードとなっている。それを嫌ってひと騒ぎを起こしたにすぎないのだろう。
コンダクトフロアに収まったとて実際にはみなを指揮するほどの能力はなく、クロヴィスは部下たちが事件解決に向かって尽力するのを焦れながら見つつ全てが終わった時には既に日も落ちようという時間になっていた。
そして、ここからがクロヴィスの仕事の始まりである。
クロヴィスは皇族用のマントを羽織ると、壇の上に立ち、向けられるカメラの前でキュッと表情を引き締めた。

「帝国臣民の皆さん、そしてイレブンの方々。今日という日を悪で染めた無粋なテロリストの粛正は既に正義の名の下に完遂しました。幸いにも死者は出ずに私も心から安堵を致しましたが、皆さんを不安に怯えさせたかと思うと身を引き裂かれる思いにかられ、お詫びの言葉もありません。しかし! 私は誓います、クロヴィス・ラ・ブリタニアの名の下に今日よりも明日、明日よりも明後日をより良き日とせんことを!」

この自分の姿がエリア中に流れる。そして皇子たる自分の姿と言葉を聞いてブリタニアの臣民たちは励まされ、安堵する。美しく気高く、力強い帝国の第三皇子。――そう、そんな虚像の自分をみなの前で作ってやることこそが自分にできる仕事だとクロヴィスは思っていた。
こんな大味で情熱的な芝居――こればかりはいくらシュナイゼルとはいえ出来ないだろうと思うと、少しだけ優越に浸れた。
「今日も素敵でしたわ殿下、さあパーティーの準備ができておりますので」
カメラから解放されると着飾った婦人達が恭しく声をかけてくる。クロヴィスは、ふ、と笑って疲れを自覚しながら「あとで行きます」と一息つくために自室へと戻っていった。
本当に、本国が懐かしい。これ以上の苦労を背負い続けているだろうシュナイゼルは腹違いとはいえ本当に自分と血を分けた兄なのだろうか? と、せっかくの誕生日だというのに潰れてしまった休日にうんざりしていると、ピ、と部屋のモニターが通信受信を知らせてきた。
「ん……?」
ロイヤルプライベートだ。受け取ると、そこには懐かしくも美しい二人の姉妹がいた。
「クロヴィス兄さま、お誕生日おめでとうございます!」
「おめでとう、クロヴィス。どうだ、お前のことだから本国が懐かしくて泣いていたんじゃないか?」
愛らしい笑みを浮かべるユーフェミアと微笑を湛えたコーネリアだ。懐かしい笑顔にほんとうに涙腺が緩みそうになる。
「やあユフィ、姉上も……。そんな、泣いているなんて心外ですね。もう22になるというのに」
「もうそんなになるのか……早いな、私の中ではお前は今も泣き虫のままだぞ」
「はは、相変わらず酷い言いようですね。もう背だってとうに姉上を追い越してしまったというのにまだ子供扱いをなさる」
姉のコーネリアはどこまでも厳しい性格であるが、その実弟妹には甘い人物だというのをクロヴィスはよく理解していた。そんな姉にいつまでも心配されるのが気恥ずかしい反面、こうして祝ってくれるのが素直にうれしく、つい長話に興じてしまう。
名残惜しげに通信を終えて、クロヴィスは机に仕舞っているスケッチブックを取り出してパラパラと捲った。懐かしい皇宮の風景や木花、兄妹たちの絵。どれもこれも遠すぎて、立派に総督を務めようと思う反面、無性に帰りたくなってしまう。
今度こそ本当に涙腺が緩んできてグッと目に力を込めて耐えていると、またも通信機が受信を知らせる音を鳴らしてきた。
何か言い忘れでもあったのだろうか? と再びモニターに目をやると今度は薄い金髪に切れ長の碧眼を湛えた、もっとも尊敬し畏怖するすぐ上の兄の姿があった。
「あ、兄上……」
「やあ、クロヴィス。聞いたよ、今日は大変だったそうだね」
あ、と息が漏れる。今日のテロ騒ぎは既にシュナイゼルの耳に入っているのだろう。情けなさに一瞬にして表情が曇った。
「すみません、私の力不足でして……お見苦しいところをお見せしました」
「いやいや、君のせいではないよ。こういう日はとくに警戒しなくちゃならないのがエリア統治には付き物だからね」
シュナイゼルはあくまで穏やかに慰めようとしてくれている。それは感じたクロヴィスだったが本当に気恥ずかしくて気を沈めていると、目線の先のモニターの外からごく小さな声が割って入った。
「お兄さま、もう前置きはそれくらいにして……」
どこかシュナイゼルを諫めるような物言いに目を瞠っていると、ああ、とシュナイゼルの目線がクロヴィスからモニターの外へと移された。
「ならおいで、ほら」
弟であるクロヴィスすら見たことのないほどの優しい瞳でシュナイゼルが手招きをして、おずおずとモニターに入ってきた人物を見てクロヴィスの瞼がさらに持ち上がった。その瞳の先で銀に程近い見事なプラチナ・ブロンドを湛えた髪に、儚げな碧眼がうっすらと笑う。
「お、お久しぶりです。クロヴィス兄さま」
「…… ……」
クロヴィスにとってはすぐ下の妹にあたる ・ル・ブリタニアだ。滅多に会うことのない妹の姿にクロヴィスはぽかんとした表情を晒すものの、 は控えめに唇を揺り動かした。
「あ、あの……本日は――」
「せっかくだから と一緒にと思って私が呼んだんだよ。クロヴィス、誕生日おめでとう」
「おめでとうございます、クロヴィス兄さま。エリア11での公務、大変なことは聞き及んでいますが、こうして今日という日を無事に祝えることを嬉しく思っています」
微笑んで並ぶシュナイゼルと は兄妹ということ以上に絵になっていて、美しい二人だ、と感じてしまうのは自分の中に眠る芸術脳ゆえか。思いがけない妹からの祝いに先程までの憂鬱さは一掃され、クロヴィスは笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、兄上。 もありがとう、元気そうでなによりだよ。今度は私が君を祝わなくてはいけないね」
「お気持ちだけで十分です、兄さま。――それと」
言って はちらりとシュナイゼルの方を見上げた。するとシュナイゼルが頷いて、モニター先からクロヴィスに微笑みかける。
「そろそろ、時間かな?」
「え……?」
意味が分からず素っ頓狂な声を漏らしていると、トントン、と私室のドアをノックされる音がしてクロヴィスはハッとした。
「誰だ、無粋な……。すみません兄上、お話中だというのに――」
「いいから。出てみるといい」
「……はぁ」
更に意味が分からず、取りあえずはシュナイゼルの言うとおり一旦モニターから離れてドアを叩いた主に入るよう促した。
「失礼致します」
すると側近の一人が鉢植えのようなものに見事な紅い葉を湛えた植物が植えてある物体を抱えてきて、あっけに取られたクロヴィスは見事に惚けてしまった。あまりに予想外の事態に口からは間抜けな声が漏れる。
「なんだ、それは」
「シュナイゼル殿下と 皇女殿下から殿下へ贈り物です。つい今、届きましたもので」
とりあえずこちらに、と側近はテーブルの上にそれを降ろすと一礼して私室から去っていった。残されたクロヴィスは鳩豆状態で面食らうしかない。
「驚いたかい?」
モニター先から楽しげなシュナイゼルの声が聞こえてきて、クロヴィスはハッとした。
「君の誕生日には皇宮に咲いている花々を見繕って届けようかとも思っていたんだけど……彼女に反対されてしまってね」
「エリア11はとても四季の変化が美しい場所だと聞いております。今は紅葉が素晴らしいと聞き及び……ご多忙な兄上はまだご覧になっていないのではないかと思って、紅葉を贈ろうと思ったんです」
「盆栽と言うらしいよ、君に届けさせたそれは。とびきりに美しい紅葉を選んで特別に作らせたんだけど……気に入らなかったかい?」
モニター先の二人が案ずるような目線を向けてきて、クロヴィスは惚けた顔のままふるふると首をふるった。
見事な朱のグラデーション。まるで手のように枝分かれした愛らしい葉の造形。どれもこれもブリタニアでは見られないもので、どこかエキゾチックな美しさに見惚れてしまうほどだ。
元々、クロヴィスは美しいものには目がない。更にはサプライズなどの心躍ることも好んでいる。――選んだのは でも、こんなプレゼントの仕方をしようと提案したのは自分のことをよく分かっているシュナイゼルだろうと感じたクロヴィスは、胸の熱さと同時に心地よい息苦しさを自覚した。
「とんでもない……。見事で、返す言葉が見つかりません」
上擦った声で返すと、モニター先の が「良かった」と胸をなで下ろしている様子が見て取れた。ふ、とシュナイゼルも口元に笑みを浮かべている。
「もっとも、君の部屋には合いそうにない物ではあるけどね。機会があれば、ちゃんと土に根付いているものを見てくるといい」
「……はい」
頷きながらクロヴィスは思った。二人が郷愁を煽るような祖国の花ではなく、このエリア11のものを贈ってきたのは彼らなりの激励なのだ、と。
祖国ばかりを懐かしんでいられない。このエリア11を良くしていくことが今の自分の使命なのだと美しく色づいた紅葉を見つめながら改めて強く感じた。
そうして晴れやかな表情でモニターに向き直る。
「いつか、もう少しエリア11の治安が安定したらこちらにいらして下さい。その時は、この紅葉が揺れている場所のようにエリアの美しい所へと案内致します」
「うん、楽しみにしているよ」
、君も」
「はい……ぜひ」
微笑む二人に精一杯の笑みを返して礼を言うと、クロヴィスは通信を終えてふっと息を吐いた。
そうしてもう一度、二人から貰い受けた紅葉を瞳に宿して明日からも公務に励むことを誓う。
「ふふ」
笑みを漏らしながらクロヴィスは朱く色づく葉を指先で突いて遊びつつ思った。懸命に励んで近い将来必ずエリア11の治安を向上させ、あの二人を視察に招こう、と。
それにしても――、と紅葉観賞をを楽しみながら考える。出立祝いの舞踏会でシュナイゼルが を伴って現れたときも驚いたものだが、いつの間にあの二人はああ仲良くなったのだろう?
首を捻るものの、兄妹仲がいいのは良い傾向だと納得する。思い返せば数多の兄妹の様々な絵を描いてきたが、シュナイゼルと 、という絵は今まで描いたこともなかったな、と一人笑みを深くして先程の二人を思い浮かべた。
兄妹としても、純粋にモデルとしても美しく――シュナイゼルか の誕生日には今回の礼に二人の絵を描いて贈ろうかと密かに考えてクロヴィスはなお笑みを漏らした。


――視界にくっきりと朱が宿る。


この誕生日のできごとが自分の世界さえ変えてしまう出会いをもたらすことになるなど――今のクロヴィスはまだ知る由もない。








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