ジレンマの先に。





「あ、ルルーシュ宰相殿下よっ!」

近くで同僚の興奮気味の声があがった。

「シュナイゼル殿下も素敵だったけど、ルルーシュ殿下も劣らず素敵……! やっぱりご兄弟ねぇ」

同意する同僚達の声も既に慣れたもの。
でも、私は――。

、あとで私の執務室にお茶を持ってきてもらえるかな?」
「――イエス、ユア・ハイネス」
「いつもありがとう。助かるよ」

廊下ですれ違ったルルーシュ宰相殿下にローテンション気味で返事をすると、殿下は綺麗なブルネットの髪を揺らしてうっすら微笑まれた。
ルルーシュ殿下は仕事熱心でいられるし、シュナイゼル殿下のように私たちメイドにも優しく接して下さるけど、でも――やっぱりこの宰相府は以前とは別のものに変わってしまった。


シュナイゼル殿下が謀反を起こしてから既に数年。月日が経つのはあっという間、年をとるのもあっという間。でも、最近老けたんじゃない? なんて地元の友人は失礼なことを言ってくるけど、それはきっと歳のせいではないと思う。一応まだ若い、ハズ、だし。
「ハァ……」
私はすっかりクセになった溜め息を深く吐いた。溜め息を吐くと幸せが逃げるなんて言われるけど、そんなのもうきっと手遅れ。
シュナイゼル殿下が何を思ってクーデターなんて起こしたのか私には想像も出来ない事だったし、当時はまだ第一皇子だったオデュッセウス陛下が正規軍を率いて討伐に出られた時は訳も分からないままに恐怖した。
殿下の側近は、カノンさまはどうなるの? って。
でも、知った瞬間から答えは分かってた。カノンさまの一番大切な人は殿下だったんだもん。殿下が討たれるなら、カノンさまもそうするだけ――と数年前を思い出してブワッと涙が溢れてきて私は慌ててグイッと手で拭った。
殿下やカノンさまがいなくなっても、私が皇宮付きのメイドであることは変わらず、ルルーシュ殿下が宰相になられて宰相府の主が変わってしまってもカノンさまのいらっしゃったこの場所を離れがたくて仕事を辞めることはしなかった。
でも、仕方がなかった事たって何度自分に言い聞かせても、カノンさまを討ったオデュッセウス陛下と一緒に討伐に出られたルルーシュ殿下に無条件で忠誠を誓うのは難しくて、カノンさまがいなくて、寂しい。
殿下がクーデターなんか起こさなきゃ、って殿下に恨みを向けようにも、殿下を恨んだりしたらカノンさまに申し訳なかったし、何より第三皇女殿下と共に亡くなられたという殿下はあまりに哀しすぎて、責められなくて。
以前、一度だけ殿下の私室から忍び出るようにして出ていかれた皇女殿下をお見かけしたことがある。あの時、あの女好きでいけ好かない殿下が本当はままならない恋に苦しんでいらっしゃるのでは? なんてあり得ない想像をしてみたけれど……きっと、それは当たっていたのね。お二人の最期はあまりに哀しすぎて、殿下も恨めない。皇帝陛下をお恨みすることも恐れ多くて、気持ちのやり場がないまま私の中の時間はカノンさまがいなくなってから完全に止まってしまっていた。


とある休日の日、私はほとんど休日のたびにそうしているようにペンドラゴンの寂しい場所にひっそりと建っている政治犯専用の墓地へと足を進めた。
カノンさまはクーデター犯の筆頭側近だったから、シュナイゼル殿下の起こした様々な事件――マリアンヌ后妃さま殺害事件やクロヴィス殿下暗殺事件、シャルル皇帝暗殺事件の実質のブレーンとして重犯罪者の烙印を押されてしまった。もちろん、マルディーニ伯爵家は爵位を剥奪されて没落したと聞いている。
でも、いつも花のように可憐だったカノンさまがそんな恐ろしい犯罪を実行したなんて思えなくて、私は墓地に足を踏み入れて私以外は訪ねてきた形跡もない墓標を前にたまらずしゃくり上げてしまった。
「カノンさまぁ……ッ」
そのまま墓前にへたり込んで膝を抱える。
ああ、一般庶民ましてやメイドなんて無力そのもの。カノンさまの名誉を回復させるどころか、今ではカノンさまの名前を出すことすらタブーに近い。伯爵家が落ちぶれていくのを哀れに思っても、こんなメイドごときに同情されてもマルディーニ家だってきっと屈辱なだけ。
私の心はますますカノンさまを慕うばかりなのに、世間的にはカノンさまは悪者なんて……そんなの、あんまりだ。
「うッ……く……っ」
なに泣いてるのよ、みっともないわね。って今の私を見たらカノンさまは叱ってくださるのかしら。慰めてくださる? それとも、既に私の存在なんて忘れてしまわれた……?

「あっれぇ〜〜〜?」

ぐす、とみっともなく鼻をすすっていると風に乗ってどこか陽気で芯のない声が届いて、ハッとした私は声のした方に目線を送った。
「こんな所に先客ぅ?」
どこかヘラヘラした独特の笑みを浮かべたメガネ姿の男性だ。あ、と正体に気づいた私は慌てて涙を拭って立ち上がった。
「アスプルンド伯爵……!?」
「おめでと〜〜、大正解〜! よく分かったねぇ、で、君は誰だっけ?」
花束を片手に独特の言い回しをした彼はロイド・アスプルンド伯爵。確かカノンさまの学生時代からのご友人……と、私の中のカノンさまデータノートに記されてあった気がする。
私が皇宮付きのメイドであることを説明すると、へぇ、と伯爵は私の顔を覗き込むようにして腰を折った。
「ああ、ひょっとして殿下やカノンがいたときからいた子? ん〜〜、そういえば見覚えがあったかなぁ」
カノン――。久々に何の含みもなくごく当然のようにカノンさまのお名前を他人の口から聞いて、嬉しくて私はまたブワッと涙が戻ってきてしまう。
「ア、アスプルンド伯爵も……、カノンさ――マルディーニ伯爵のお墓参りですか?」
とと、いけない。やっぱり気を抜くとカノンさま呼ばわりしていたクセが相変わらず出てきてしまう。でも、剥奪されたというのに「伯爵」という敬称を付けてもアスプルンド伯爵は気にするそぶりもなく「ん〜〜」と曖昧な笑みを浮かべていた。
「まあ、ね。なんだかんだで、腐れ縁だったしねぇ。たまたま暇だったし、カノンの事だから僕が来たら"あら、珍しい!"って大騒ぎかもしれないけどぉ」
「伯爵は、マルディーニ伯爵とは親しかったんですよね? ……あ、確か、アスプルンド家はシュナイゼル殿下の後見で……」
「アハぁ、よく知ってるねぇ!」
久々にカノンさまのお話が出来て嬉しくてつい余計なことまで口を滑らせそうになって慌てて口元を押さえると、伯爵は肩を揺らして面白そうに笑った。
「ま、僕んとこは奥さんの実家がルルーシュ殿下のご生母であったマリアンヌ后妃さまと親しくってね〜〜。そんなこんなで、まあどうでもいいんだけどまだ伯爵だよ」
アスプルンド家はシュナイゼル殿下の後見を務めていた。そして、伯爵は確かシュナイゼル殿下の直轄の研究機関で研究職に就いていたはず。クーデター当時は研究機関のガサ入れやらで皇宮も色々ゴタついていたみたいだけど、それでもアスプルンド家が没落しなかったのは伯爵が今おっしゃったように、伯爵の奥さまにあたる方のご実家がルルーシュ殿下の母方のご実家と良好な関係にあったからだ。うん、確かメイド長情報によるとそうだったと思う。
色々と追想していると、伯爵は笑みを湛えたままカノンさまの墓前にそっとお花を添えてふと小さく呟かれた。
「今頃なにしてんのかねぇ、君たちは」
あ、と私は息を呑む。風変わりな方だけど、きっと伯爵にとっては殿下もカノンさまも旧知のご友人で、大切な人たちだったはず。
「お辛い、ですよね……」
「ん……?」
「寂しい、ですよね……。マルディーニ伯爵がいなくて……」
「ん〜〜? ま、そうだねぇ……。そう実感もないけどぉ」
伯爵は相変わらず独特の言い回しを人を食ったような笑いに乗せているけど、内心はお辛いに決まっている。だって、そうじゃないならきっとわざわざここへお花を持って訪ねて来たりはしないはずだもの。ギュッと私は知らず知らずのうちにスカートの裾を握りしめて表情を歪めていた。
「私……私は、辛いです。寂しいです。宰相府にいてもカノンさまがいなくて、こんな寂しい場所に眠らされて、みんなカノンさまのことを悪く言うばっかり……。メイドの私なんか、こうやってお墓参りに来るくらいしかできなくて、やるせない」
そうだ、辛いのは他でもない、私自身だ。伯爵の気持ちにかこつけて、私はカノンさま呼びもはばからずに胸の中にためていた思いを吐きだしてしまった。
ヒュ、と風の音が強く響いて……伯爵は何も言ってくれなくて私は慌てて自分がとんでもないことを喋ってしまったのだと猛烈に自省した。
「あっ、も、申し訳ありません! メイドの私が、身分違いも省みずに――」
「いいんじゃない?」
すると、私の言葉を遮るようにして伯爵が軽い声をあげ、私はぽかんと拍子抜けしてしまう。
「え……?」
「いいんじゃない? 君だけでも忘れずに来てくれるんなら、カノンも寂しくないでしょお」
「そっ……、そうでしょうか……私、なんかが」
「ん〜〜、僕はさぁ、あんま貴族とかメイドとかどうでもいいからよくわかんないんだけどー……カノンもさぁ、ホラああいう人だし、気にしないんじゃないの?」
違うか、と問われて私はハッとした。
カノンさまは、いつでも殿下のことばっかりで、時に厳しい方だったけど。時折優しいお声をかけてくださっていた。一生懸命やっていれば、ちゃんと見ていてくださる方だった。伯爵であることを鼻にかけて、メイドのくせに、なんて態度を取られたことは一度だってない。
「辛かったらさ、良いことだけ覚えてればいいんだよね。真実なんて僕にもわかんないけど、学生の頃に過ごした殿下やカノンとの記憶まで汚れちゃったわけじゃないからねぇ。君も、君の中のカノンを忘れなきゃ少しは寂しくないでしょ」
の淹れた紅茶は別格ね、って誉められて有頂天でますます頑張って今では色んな方に指名していただけるようにまでなった。
はなかなかセンスいいわね、って私の作ったリーフを誉めて下さって次の年のクリスマスはあまりに大量生産しすぎて色んな人に苦笑されてしまった。
の掃除したあとっていつも綺麗ね、って言われて――お優しかったカノンさまの声とお姿が次々と過ぎって私は伯爵の前で耐えきれずにボロボロとみっともなくしゃくり上げてしまった。
伯爵は、ただ黙ってそばにいてくださった。
しばらくしてようやく泣きやむまで、ずっと。

そうだ、私の中でカノンさまは何も変わってない。以前と変わらず、私の中の一番綺麗な場所に住んでいらっしゃる。
だから、カノンさま……。私は、私の知っているカノンさまを信じています。これからもずっと、ずっと。
ですから、どうぞ安らかに――。

一頻り泣いて、カノンさまを懐かしむように伯爵から昔の思い出話を沢山聞かせてもらって……墓地を後にした帰り道、私は伯爵に向かって丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございます」
「ん〜〜?」
「ずっと、誰かに話を聞いてもらいたくて胸の中に溜め込んでいたんだと思います。伯爵に聞いていただけて、とても気持ちが軽くなりました」
すると伯爵は相変わらず読めない表情で「アハぁ」と個性的な笑みを浮かべていらっしゃった。
「ま、君もさ……宰相府にいるの辛くなったらいつでも相談してねん。ウチの奥さん君みたいなメイド好きそうだし、僕の研究室で事務って手もあるよぉ?」
別れ際で伯爵に手を振られながらそんなことを言われて、私はあっけにとられてしまった。
じゃあね、と気楽に笑って向けられた背中。
かつては、あの隣に殿下がいて、カノンさまがいて……肩を並べて歩いていられたのかなぁ、なんて思いつつ伯爵に向かって深々と頭を下げる。

これから、どうしようかな。
このまま宰相府でメイドとしてキャリアを積むのか、いっそアスプルンド伯爵のありがたい申し出を受けてしまおうか。
どれを選んでもまた以前のように120%元気バリバリで頑張っていきたいな。そうして時計の針を進めれば、私の中のカノンさまが笑って誉めてくれるような気がして――。

カノンさま。
私は元気です。やっぱり少し寂しいけど、ちゃんとここで生きていきます。
生きて生きて、カノンさまの素晴らしさを後生に伝えるのも立派なメイドの仕事ですよね?
なんてちょっと出過ぎた事も思って、私は久々にクスッと一人笑みを零すとうっすらと星の見え始めた空を仰いでゆっくりと歩き始めた。










カノンが見かねてロイドに引き合わせてくれたのかも……?

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